月に2時間
ヨガ哲学のクラスを受けている
といっても今回は第5章の途中から参加と言う出だしからの2回目が終わったところ
以前にも別の先生のヨガ哲学のクラスを受講したことがあり、その時はもっと多くの時間、1年間通った
結局その時はいろんな意味で受け入れにくい部分があった
その後も興味があったので自分で本を読んだり、違う角度から説明してくれる先生の講座を受講したりしていた
ある先生に、「その時その時で受け取り方が変わってくるよ」とも聞いていたので、今の自分がどう感じるのか、その時々で自分がどう変わったのかも興味があった
ヨガ哲学はその考え方を知ることから始まり
理解し
「熟考する」ことが大切
全ては「1つ」であり、自分や他者という感覚がなければ比べることもなく、足りてるとか足りないとかそういう感覚はない
などなど・・・
知れば知るほど「何も知らない」と言う感覚になったり
「当たり前やん」と思うことがあったり
「え?そうなん?」と思ってみたり
輪廻という考え方
信じるかどうかは人それぞれだと思うけれど
前世からのカルマ(行い)によって【得】を積むとその貯蓄を使って『人間』に生まれ変われるらしい
『人間』に生まれるということは「レベルが上」で、ヨガ哲学の教えを知ることが出来る
全ては1つだけれど、違う角度から見た場合、「レベル」はあるとのこと
・・・
もしかしたらそう思っているのは『人間』という今回のキャラクターを生き切るために必要だからなのでは?
ヨガ哲学の教えが必要ないすべてのものが「レベルが下」だとなぜ言えるのだろう
以前に聞いた「今度生まれ変わったら、もしかしたら『ヨガマット』になって、毎日踏みつけられるかもしれないね」と言う話しが印象的で今も覚えている
悪いカルマの末に、と言う話しではなかったと思うが、、、
『ヨガマット』は「レベルが下」なんだろうか?
もしかしたら『ヨガマット』が輪廻の最終段階で、使い古され処分された時、ようやく魂が浄化するのかもしれない・・・よね? あー、、どうかな、違う??
うーーん
きっと違うよね~~~・・・
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